瞑想をしてみたけど、うまく瞑想できなかった貴方へ 〜 アクティブ・メディテーションのすすめ 〜

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Why(なぜ瞑想) ?

なぜ人は瞑想をやってみたいと思うのでしょうか? 色々な理由から瞑想に興味を持つのだと思います。

瞑想を通じて、

・仕事の生産性を上げたい、集中力をつけたいなどの個人の能力を向上させたい

・ダルい、元気がない、眠れないなどの悩みを解決したい。

・職場の人間関係から生じるストレスを軽減したい

或いはもう少し根深い悩みかもしれませんね。 例えば、

・人生の中でどうしても繰り返してしまうパターンから抜け出せない

・家族、親しい人の共依存関係

・自分が本当にやりたいことが何か分からないという悩み

・外側のインフルエンサーや影響力のある人などの声や溢れる情報によって 自分の軸がブレてしまうというような悩み

または、

もしかしたら もっともっと深い根源的な なぜ生きているのか、幸せとはなにか? というような哲学的な問題、、、2000 年前以上に前にお釈迦様も同じように悩んだ存在の根源的な「苦しみ」について悩んでいるのかもしれません。

或いは漠然と Google を始めシリコンバレーの IT 企業がやっているみたいだし、ただ流行っているから、やってみたいでもいいと思います。

理由はどんなであれ、瞑想をやってみたいと思ったことは素晴らしいことだと思います。

わたしは瞑想が大好きでかれこれ 20 年近く続けていますが、瞑想を通じて自分が悩んでいたことや問題が少なからず解決しました。

瞑想があなたのすべての悩みや問題を解決できるかどうかは分かりませんが、ご自分に最適な瞑想法を見つけてそれを無我夢中に楽しんで継続してやれば、間違いなくとても大きな助けになります。

大きな助けになるのは分かった。色々いい効果があるというのも分かった。だからちょっと自分で瞑想をやってみたのだけど、なかなか瞑想をすることができない。瞑想をやってみたのだけど、うまくいかないという人がけっこう多いのではないでしょうか?

瞑想を長年やっているという話をわたしがすると、お話する人の中に瞑想が良さそうだから、瞑想をやってみたけどなかなかうまくいかなかったという人がかなり多いです。

わたしも最初の頃は瞑想をしよう、しようとしていた上手く行かなかったことがあるので、その気持ちがよく分かります。

「瞑想」と「瞑想法の違い」

「瞑想をやってみたけど、なかなかうまくいかなかった」という事に関して、まず最初にとても大事なことをお伝えしたいと思います。 それは「瞑想」と「瞑想法」の違いついてです。

「瞑想」を「する」ことは難しいです。 もっと言ったら瞑想を「する」ことは出来ないと言っても過言ではありません。

なぜなら瞑想というはステート「状態」の事であって、BE 動詞ですから、それを DO することはできません。その状態に入っていくことはできますし、その状態にあることはできます。瞑想とは「状態」のことであって、瞑想を「する」ということはできないのです。

瞑想を「する」ことができないのだったら、どうやって瞑想の「状態」に入っていけばいいのでしょうか? この時に瞑想法が登場します。瞑想法は瞑想の状態に入っていくためのテクニック、メソッド、技術です。瞑想法というのは瞑想状態に入るために大切な架け橋です。

これが「瞑想」と「瞑想法」の違いです。

ちょっとまだ理解しづらいかもしれないので、たとえ話で説明させてください。

最近サウナがけっこう流行っているらしいですね。サウナが流行っているということを最近になって初めて知ったのですが、サウナと水風呂の往復と休憩のセットを繰り返した後に「ととのう」状態や「サウナトランス」の状態を楽しむのが「サ道」「サウナ道」などと言うみたいですね。

この「サ道」「サウナ道」という言葉は瞑想を説明するのに分かりやすいなと思って、一つ記事を書いたので、詳しくは 👇 の記事をお読みください。

サ道(サウナ道)と瞑想道の共通している点 https://note.com/nirvana_lab/n/n2ff2343244a9

「瞑想」と「ととのう」にみる共通点

サウナと水風呂の往復と休憩のセットという行為を DO して、「ととのう」状態(BE)に入っていくのを楽しむこと。

この「ととのう」状態だったり、「サウナトランス」の状態が「瞑想」の状態と似ていると思っていて、その状態に至る架け橋が「瞑想法」。

ここで言うとサウナと水風呂の往復と休憩のセットを繰り返すこと。 最初から「ととのう」状態だったり、「サウナトランス」の状態を DO することはできませんよね?

サウナと水風呂の往復と休憩のセットを繰り返すことで、その状態にアクセスしたり、入ったり、その状態が起こったりします。 まさにそれと同じように、「瞑想法」を通して、「瞑想」の状態に入っていく。

そのようなものだと私は理解しています。

わたしも最初に瞑想を知って、やり始めた頃、信じられないくらい気持ちがいい瞑想状態を初めて体験してしまってから、瞑想をしよう、しようと努力、躍起になってしまっていたことがあります。

ただ瞑想をしよう、しようと努力すればする程、瞑想状態はあなたから離れていきますし、 意志の力で自分を律して瞑想をしているつもりになっても、(自分はこれも瞑想を知りはじめた頃、やってました。)

それは本当の瞑想ではないかもしれません。 その辺りのことは「【実体験】瞑想しようと思った時にやってはいけない 9 つのこと」に簡単に書きましたので、詳しくはそちらをご覧頂ければと思います。

How どのような瞑想法があるのか? 

それではどのような瞑想法があるのかご紹介したいと思います。 瞑想法に関しては数多くのものがありますが、ここでは 2 種類に分けて説明します。

・伝統的な静かに座っておこなう瞑想法 ・現代人のためにデザインされた瞑想法

以上の二つです。

❏ いわゆる伝統的な静かに座っておこなう瞑想法

いわゆるマインドフルネス瞑想 ヴィパッサナー瞑想 クリヤヨガ 座禅 など

伝統的な静かな瞑想法でスムーズにとても深く瞑想に自然と入っていくことができて、全く何も違和感など感じないのであれば、伝統的な瞑想法を楽しんで続ければいいと思います。

わたしも 10 代の後半から伝統的な静かな瞑想法である仏教系のヴィパッサナー瞑想、ヨガ系のクリヤヨガ瞑想などの瞑想を数年体験しました。 ただその当時自分が瞑想しているつもりになっているだけではないかという疑問があり、他の瞑想法も試していました。

そんなときその当時出会った瞑想法が現代人のためにデザインされたアクティブ・メディテーションという瞑想法です。この瞑想法は 20 世紀最大の神秘家と言われている Osho によってつくられたもので、いろいろな種類があります。

伝統的の瞑想法とアクティブ・メディテーションの両方を体験してみて、私が感じたのはこの瞑想法はあたかもコブシをギュッと力いっぱい握った後に、ぱっと離すと自然とリラクゼーション・弛緩が起こってくるような瞑想法です。

伝統的な静かに座る瞑想法と現代人のためにデザインされたアクティブ・メディテーションを両方とも実践してみた自分の体験から個人的にはアクティブ・メディテーションをオススメします。

その一番の理由としては、 まだ感情の浄化やカラダの準備ができていないうちに伝統的な静かな瞑想法を自分で律して努力して瞑想したつもりになってもそれは本当に瞑想の状態が自然と起こっていくことではないし、その強引とも言える努力そのものが自分の中で分裂や違和感や不自然さ作り出してしまうからです。

最初から伝統的な瞑想法でも簡単にスムーズに自然と瞑想状態に入っていけるのであれば、それを続ければいいと思いますし目的地は同じです。

ただ簡単に入っていけるかどうかの違いですし、アクティブ・メディテーションも後半のステージは伝統的な静かな瞑想法と手法は同じです。まず自分が実際にやってみて、これが自分に合っていると感じた瞑想法を選んで、楽しんで続けていきましょう。

❏ 現代人のためにデザインされたアクティブ・メディテーション

アクティブ・メディテーションには様々な瞑想法がありますが、代表的なものは以下になります。

  • ダイナミック・メディテーション

ダイナミック・メディテーションのはじめての体験記はこちらに書きましたので、もし宜しければ、そちらをご覧ください。

瞑想遍歴【その 4】 https://note.com/nirvana_lab/n/n5691bb68a756

ダイナミック・メディテーションの詳しい説明はこちらです。

  • クンダリーニ・メディテーション

クンダリーニ・メディテーションの詳しい説明はこちらです。

  • チャクラブリージング・メディテーション

チャクラブリージング・メディテーションの詳しい説明はこちらです。

  • ナーダブラマ・メディテーション

ナーダブラマ・メディテーションの詳しい説明はこちらです。

その他にもアクティブ・メディテーションは色々ありますが、このくらいにしておきましょう。要はこの瞑想法には「動」のステージと「静」のステージで成り立っているということです。 (一部の瞑想法は静のステージしかないものもあります。)

いわゆる伝統的な静かな瞑想法だと、「瞑想や座禅は頭の中の雑念をみること」という誤ったイメージや固定観念から、一生懸命アクロバティックに雑念や思考に囚われないように、主体である「みること」にフォーカスしようと頑張りますが、どう頑張っても過去、未来の範疇にある雑念、想念に絡み取られてしまいます。

いくら雑念や想念と格闘して、主体である「みること」にフォーカスしても 雑念や想念は「いまここ」ではない「過去や未来」に属していて、「いまここ」で起こっているリアルなものではないので、暖簾に腕押し、なかなか瞑想の手応えを感じるには難しいでしょう。

それよりは「いまここ」でリアルに起こっていて五感で感知できるものに フォーカスした方が、容易に瞑想に入っていくことが出来るでしょう。

「いまここで起こっている」自分の身体感覚、呼吸感覚、日光から感じる暖かさ、聞こえてくる音、これらはすべて過去や未来にあった雑念、想念とは異なり、「いまここ」で実際に起きている感覚です。

これらの感覚にフォーカスした方が「いまここ」というスペースに「ただ在る」という事を容易にしてくれるでしょう。

「動」のステージではまずシェイクやダンスなどを通じて、いまここにある自分の身体感覚、呼吸感覚にまずは繋がっていきます。このステージでカラダや呼吸から始めていくことで、心身とエネルギーを浄化してととのえ、自然とスムーズに「瞑想」状態に入っていく準備をします。

サウナの温冷浴の「温」と「冷」のはたらきと似たような感じで、温冷のギャップが心身を整えていくように、「動」のステージと「静」のステージを経ることであなたの意識が自然と「瞑想」状態へと入っていきます。

これがアクティブ・メディテーションが「動」と「静」のステージで成り立っているかの理由です。

心身の浄化をせず、カラダとエネルギーをととのえずに最初から「瞑想」状態に入っていこうとするのは、あたかも裸にならず、サウナで温冷浴もせずただ椅子に座って休憩して「ととのう」状態を待っているのにもしかしたら近いかもしれません。

What 結局では瞑想とは何か?

「瞑想」とは何か?という質問は、 リンゴを味わったことない人に、リンゴの味を言葉で説明することは ほぼ不可能であるのと似ています。

また「ととのう」とはどういう状態か サウナの温冷浴を通じて、それを味わったことない人に 説明するのはとても難しいのと同じです。

まず味わってみましょう。体験してみましょう。

あとは自分に一番合った瞑想法を楽しんで、継続していくだけです。