瞑想・マインドフルネス・癒やし

お釈迦様はなぜお金、富、権力、宮殿、美しい女性を全て捨てて、瞑想を始めたのか?

10代の後半の時に偶然か必然か瞑想に出逢い、色々な瞑想法を経験。
早いもので瞑想歴は約18年程。

2012年から本格的には2016年から週1,2回週末に湘南藤沢を中心に現代人のためにデザインされた瞑想法であるOshoアクティブ・メディテーション、それと共に最近になって少しずつ分かってきた瞑想というもののエッセンスをシェアしています。

ヒマラヤ遊行庵のブログ | ネパール、マンダラ、メディテーションを通じて「からだ ∞ こころ」の幸せづくりのお手伝い

 

「瞑想」とは一体何なのでしょうか?

言葉で瞑想とはこれだと説明するのが難しいですが、瞑想を約18年程欠かさず続けているものとして言わせて頂くと、それは「本来の自分」を思い出すことを手助けしてくる最適な手段、ツールだと感じています。

「瞑想」という言葉の周辺的な部分からのお話になってしまうかもしれませんが、

私達のほとんど誰もが何か外側のもの、お金、地位、名誉、学歴、ブランド、知識、スキルその他いわゆる個人の成功の象徴と言われるものを可能な限り得ることが幸福とイコールと、幸福に繋がるのだと物心つく頃までに社会や世間や親などと言ったような外側の権威によって無意識のうちに教えられ、信じ込まされています。

そして何の疑いもなくそのような価値観に従い、可能な限りそれらを得ようと躍起になって競争します。あたかもそれらの価値観が絶対的で、疑うことそれ自体が無意味な空気や水などあたりまえの存在かのように。

これを読んでも何の事だか分からないくらいに、この価値観はとっても洗脳浸透度の根がとても深くまずこの価値観は絶対的なものではなく、単なる選択肢のうちの一つであるという事に氣が付くだけでも実は結構大変です。

具体的に何が言いたいかと言うと、幸福というものは言うまでもなく、
自分と他人を比較して俺の方が学歴が高くて、年収も人口の上位1%、タワーマンションに住んで〜エトセトラ、エトセトラだから俺の方がもっと幸せというような単純で浅薄のものではもちろんありません。

別に学歴が高くて、年収が人口の上位1%、タワーマンションに住んで〜エトセトラ、エトセトラという事を否定しているわけではなく、単純に他人と比較し優劣をランク付けすることによって得れるものが、幸福という事ではないと言うことです。

そしていわゆる勝ち組がいわゆる負け組よりもっと幸福というような
1+1= 2のような単純極まりない公式に当てはめることなど出来ないということです。

他人との年収、学歴、地位、所有物を比較して幸福というものを測ることは不可能

話が少し飛躍するかもしれませんが、いくらお金、地位、名誉、その他いわゆる個人の成功の象徴と言われるものをどれだけ得たとしても、この生の実存的で根源的な「苦」というものから解放されることは無いという事はブッダによって2500年以上前にブッダが説かれ、示された時から現在も何も変わっていない真実です。

ちなみにブッダは生まれた時から何の不自由もない暮らしを約束されていた王子様として、
私達が誰もが欲しいと思っている富、権力、宮殿、美しい女性など最初からすでに手に入れていましたが、29歳の時にある理由から宮殿を捨てて、真理を探す旅に出てしまいます。

詳しいブッダのストーリは下記の記事がとても分かりやすいので、
参考にして頂けますと幸いです。

「ブッダの教えと生涯」

お釈迦様がお金、富、権力、宮殿、美しい女性を全て捨てた理由が決して避ける事が出来ない生の根源的な「苦」だった。

その理由が生の根源的な「苦」といわれるものです。

ちなみにブッダが説いたその生の実存的な苦とは

四苦 —

  1. 「生」– 生きる苦しみ
  2. 「老」– 老いる苦しみ
  3. 「病」– 病気の苦しみ
  4. 「死」–死んでいく苦しみ

八苦 ―

  1. 「求不得苦」–お金や物、地位や名誉など求めるものが手に入らない苦しみ
  2. 「怨憎会苦」–恨みや憎しみを抱いてしまう人と出会う苦しみ
  3. 「愛別離苦」–親、先生、友人などどんなに愛する人とでもいつか必ず別れなければならない苦しみ
  4. 「五蘊盛苦」–心身を思うようにコントロールできない苦しみ

上記のような事はブッダだけでなく、古今東西のあらゆる覚者や賢者が同じような事を真理として示しており、これはこの生というものに関わる根本的な究極の公式、数式なのかもしれません。

そして時の権力者やその時代のいわゆる大富豪や大成功者と言われる人々の名前は100年、200年経ったら忘れられてしまうのに対して、ブッダの名前とこの究極の公式は1,000年レベルで時が過ぎても忘れ去られることがないでしょう。
なぜなら前者の事は「諸行無常」の中の出来事だったり、現象であり、
後者は「重力」や「引力」のようなこの世を司っている法則と同じようなものなので、
一切変わることがありません。

※諸行無常 = 世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。
【釈迦さまの教え|仏教の教え|日蓮宗ポータルサイトより】

しかし大切なことはブッダや彼のような覚者、賢者はただ生の根源的な「苦しみ」が存在するという事を説いた同時にその「苦しみ」から自由になるための最適解も示されました。


その最適解のうちの一つが「瞑想、メディテーション」です。

言うまでもなく、「苦しみ」から自由になるための最適解の中で
出来る限りお金、名誉、地位、スキル、その他いわゆる個人の成功の象徴を得ることがであるとは勿論言っていないわけです。

もちろん再度お金、名誉、地位、スキル、その他いわゆる個人の成功の象徴を得ることを否定している訳ではないという事をご理解ください。

そうではなくて、それらは生の根源的な「苦しみ」から自由になるための最適解ではなくて、幸福とイコール、幸福と繋がる絶対的な要素ではないと言うことです。この部分を勘違いしないで頂ければと思います。

お金など個人の成功の象徴を得ることは、この資本主義社会のシステムの中に組み込まれている一個人として勿論ある程度(相対的に)必要であるということは疑いのない事実です。

ただ個人の成功の象徴を得ることは幸福のために絶対的なものではないし、ブッダのような覚者や賢者が説かれた「生の根源的な苦しみ」の真実とその苦しみから自由になるための最適解ではないという事です。

そしてそれは何千年前から変わらず、ニュートンが発見した重力のような物理法則と同じように今後何千年目も変わらない究極の公式であるということです。

重力のような物理法則にしろ、ブッダが示した存在の法則にしろ
このような法則、公式は発見される前から宇宙を司っている法則です。

それなので、ニュートンが重力を発見する前から、ブッダが存在の法則を示す前からこのような法則は存在しました。
しかしニュートンが重力の法則を言語を用いて論理的に説明することにより、誰もが重力について理解することが出来るようになりました。
ブッダが示した存在の法則もニュートンが発見した重力の法則と同じです。
ブッダが存在を司っている法則を説いてくれたお陰で、誰もがそれについて言葉で理解できる機会を与えられているということなのです。

「瞑想とは一体なんでしょうか?」
というお題でつらつらと書いてきましたが、
「瞑想」を始める上での事前準備、導入部分にあたる「なぜ瞑想をするのか?」というポジションから「お釈迦様はなぜお金、富、権力、宮殿、美しい女性を全て捨てて、瞑想を始めたのか?」のタイトルでこの記事を書いてみました。

要点まとめ
  1. 私達のほとんど誰もが何か外側のもの、お金、地位、名誉、学歴、ブランド、知識、スキルその他いわゆる個人の成功の象徴と言われるものを可能な限り得ることが幸福とイコールと考えているが、それは違うかもしれない。
  2. なぜなら私達が誰もが欲しいと思っている富、権力、宮殿、美しい女性など最初からすでに手に入れていたブッダはそれでも生の根源的な苦の事実に直面して、すべてを捨てて探求の旅に出た。
  3. ブッダが発見したのは「苦」の事実とその「苦」から自由になる方法。そしてブッダが説いたこの生の根源的な「苦」という公式はニュートンが発見した重力と同じようなものであり、この宇宙を司っている普遍的な法則である。
  4.  そして「苦」から自由になるための最適解のひとつが瞑想である。